H様 |
京都市左京区北白川 ★2009年3月完成 |
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2007年末 オットの京都への転勤が決まる。
2008年 3月 オット渡仏
2008年 4月 桜の花が盛りを過ぎる頃から、
京都で家探しを始める。
4月中旬 住暮楽に資料請求
(5月11日 神戸のメーカーの家見学)
5月30日 八郎さんと高田さんが来る
7月31日 OBさんのおうち見学
10月初旬 契約
10月18日 地鎮祭
10月下旬 オット渡欧
11月中旬 基礎工事開始
12月25日 上棟
2009年 1月4日 オット渡仏
2月初旬 オット渡仏
3月25日 竣工
2007年11月末に、我が家に二人目の男の子が生まれて、まもなく二年。改めて思い返すと、彼の誕生後すぐに決まったオットの転勤内定から、怒濤のような忙しさの家造りが始まった。
転勤の内定から、実際の移動まで1年以上あったが、上の息子は、学校生活にデリケートなタイプなので、まず、インターネットをフル活用して、彼がゆったり過ごせそうな小学校に通えることに重きを置いて、居住区域をだいたい決めた。そのほか、実際に京都に行く前に、住みたい地域(結局のところ、左京区)の物件をたくさん抱えていそうな不動産屋も数多くピックアップし、二〇〇八年の桜が見頃をすぎた頃から、乳飲み子をつれて、3週末ほど、立て続けに京都へ行って、精力的に見て回った。多くの物件(マンションも、新築戸建てに、町屋の改築物件に、まだ家の建っていない土地も…)を見て、京都では、新築マンションよりも戸建ての方が割安感があるので、子どもも二人になったし、やはり戸建てにしよう、とは決めたが、その時点では、よもや注文建築で建てることになろうとは、夢にも思っていなかった。
ただ、建築済みの「建て売り」は、ほとんどの場合、2階が、8帖・6帖・6帖の洋室になっていて、まだ生まれて数ヶ月の下の息子に、6帖の個室はイメージしにくく、さらにどの家も間口が狭く、奥行きの深いものばかりで、リビングやキッチンからの眺望、など望むべくもなく…(京都は平たい土地なので、当たり前のことなのだが)決め手を欠いて、四月を終わろうとしていた。「まだ時間があるし、焦って決めることないさ。」と
当時、私たちは神戸の六甲山麓の絶壁に立つ、規模の大きなマンションに住んでいて、年々増える子供のものや書籍の収納に頭を悩ませながらも、(冬でも陽さえ照れば、暖房なしでTシャツで過ごせる)南向き、全面が窓のリビングに、夕日に染まる、瀬戸内海と赤い摩耶大橋を見ながら夕飯の準備ができる、オープンな台所をとても気に入って暮らしていたので、京都で物件めぐりをすればするほど、翌年からの暮らしにあまり希望を持てないでいた。
そんなゴールデンウィーク直前、「今度の週末は、どこに見に行こう…。」と深夜、いつものようにネットで物件探しをしていた夫が、なんとなく、いつもよりちょっとエリアを広げて見ていて、北白川に破格の土地物件を見つけた。破格の理由は、「急傾斜地だから」だそうで、早速、見に行くことになり、傾斜地故の眺望の良さに、ほとんど一目惚れで土地を決めてしまった。
そこから、オットは資金繰りに、私は(狙ったわけではないが、建築条件なしだったので)住宅メーカー探し、に動き出すことになった。
そこで、何となく思い出した言葉が(なぜか)「OMソーラー」。
20年ほど前、大学生だった頃に実家の近くに建築中だった家に、それがかかっており、「?」と思っていると、実家に「無垢板の家は、気持ちがいい」というようなチラシが入り、しみじみと読んでいたのを思い出した。インターネットで、住暮楽にたどり着いて、資料請求したのは、4月中旬のことだった。
同じ頃、自分で好きなように家を建てられるなら、友達の家で見たフランス製のガスレンジを入れられるだろうか、「メーカー名は?」「価格は?」と気になって検索するうちに、神戸のある住宅メーカー(そこは、紀伊の杉で建ててくれる)も見つけ、資料請求をして、たまたま近所でオープンハウスをしていたので、生まれて初めてそういうものに行き、全部木でできた家、を体感した。
神戸は、震災のせいで2×4の家ばかりになり、全部木でできているなんて、懐かしいような、それでいてとても新しい、という印象を持った。このメーカーのオープンハウスには、私だけしか行けなかったのだが、オットも勝手に納得させて、可能な限りこういう家にしよう、と私一人で決めてしまった(気がする…)。
ただ、この神戸のメーカーには、プランも一度立ててもらい、会社へも一度行ったが、結局それきりになってしまった。後からお会いした住暮楽の人々(初め、実際お会いしたのは、八郎さんと高田さんだけだったが、住暮楽ブログを読むうちに、お会いする前から全員と知り合いのような気持ちになってしまっていた)との話が、初回からずいぶん弾んでしまったのと、高田案がいきなりとても魅力的だったから、である。
高田さんは、神戸の私たちの暮らしぶりを実際に垣間見て、2時間余のおしゃべりの中で、私たち家族の「テーマ」みたいなものを敏感に感じ取ってもらって、北白川の新しい場所に、私たちが移住したらどうなるか、無理なく生活を継続させていくための立体のハコを提示してもらった気がする。
新しい家を見に来た人には、いつも異口同音に「こういう間取りを希望されたのですか?」と聞かれるが、初めのプランを出してもらうのに、(持って行かねばならない家具や、あふれている書籍の山こそお見せしたが)あえて何も言わずにお願いした結果、こうなったのである。
それに、神戸の友達や家族は、初めて遊びに来たとき、「前のうちと同じ!(立体になっただけ…)」と、これも異口同音に言ってくれる。
雰囲気をそのまま継続させて移住する、というのは意外と難しいのではないか、と思う。
土地のことも、私たちは正面の眺望(笹山)しか頭になかったが、「神戸の夜景には負けますが、ささやかな京都の夜景も見えます」と、スキップフロアの中二階から、吉田山が見えるようにして下さった。という具合で、あっという間に間取りは決まってしまった。
大変だったのは、資金の問題で、制約がある中、高田案実現のために八郎さんに「まぁ、何とかなるでしょう」と、ずいぶん譲歩していただいた。また、実際、家が建ち始めると、京都まで何度か足を運ばねばならず、この期間に夫が出張で何度も中期間渡欧し、私一人で子らを抱えて飛んで行かねばならなかった。大変だったが、祐子さんや桃ちゃんにたくさん助けていただいて、いつの間にか子ども達も、親戚のように慕うようになってしまった。
家の内装については、盛夏に照明メーカーやキッチンメーカー、輸入大型家電、お風呂、タイルなどのショールームを片っ端から見て回った。ほかに、付け焼き刃的だけれど、たくさん雑誌を買ったり借りたりして、気になる建築家や建材をどんどんノートしていったり、さらにネットで調べたりして、自分の家に活かせそうなアイディアを探した。好きなものを見つけると、(記録もかねて)画像をメールに添付して、どんどん高田さんに送っていたので、すごく迷惑だったにちがいない。でも、おかげで(それまであまり考えたこともなかった)自分の暮らし方の方針がいろいろな面ではっきり見えてきた。
結果、タイトな予算で私たちらしい家を建ててもらうことができ、気持ちよく新生活をスタートすることができた。外構もまだまだだし(ずっとこのままだったら、どうしよう。住んでいる上にはあまり困らないので、ずっと後回しになりそうな気がする…)、収納の棚も、もう少し増やして整理しなくては、と思ったり、いろいろと発展途上だが、ずっと工夫していじっていける家に住むことができて、それはとても幸せなことだと思っている。
マンションから一戸建てになって、窓ふきも掃除も大変になったが、無垢板の床は、少しの手間でつるっとなり、裸足もごろ寝も本当に気持ちがいい。問題は、家にいるのがあまりに気持ちいいので、出不精な性格に拍車がかかりそうなところだろうか?(最近、自転車に乗って出かける喜びを知ったので、この問題はだんだん解消されつつあるが…)
いずれにしても、こんな「ケ・セラセラ♪」な施主をまっとうな家が建つべく導いて下さった住暮楽のスタッフには、本当に感謝している。この場を借りて、お礼を申し上げたい。
(すみくらつうしん 2009年11月号より、転載)